30日の昨日今日
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作成日時 : 2008/03/30 17:51
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日記(日曜日)ゴルフ。42 46 計88 よいスコアが出て、楽しかった。体重66.75キロまた記録更新、増えすぎて困った。
万能川柳威張らせてあげているのと笑う母
年齢ばれて急に敬語を使われる
寝癖まで素敵に見えてしまう恋
・・・許されざる者一書は、直ちに小隊をもって、普蘭店に向かい、東清鉄道、普蘭店以南の鉄橋を爆破せよ、という命令だった。第二軍司令官奥保鞏と参謀長落合豊三の署名がある。さらに副官石光真清による追記があった。
「ロシア帝国極東総督アレクセーエフは本日(五月五日)午前十一時旅順発の臨時列車で奉天に向かう。好機なり。但し目標はアレクセーエフのみにあらず。東清鉄道という敵の主要なる輸送路をいったん寸断するにあり。遼東一帯がわが軍の支配下に入ったときは速やかに復旧せしめる予定。成功を祈る」
日本の大軍が塩大澳に上陸したことを知ったアレクセーエフは、ニコライ皇帝に旅順脱出を願い出て、許可され、奉天に向かうことになった。石光がかって、満州時代に各地で構築した諜報網は今も機能している。今回の情報は、旅順駅清国人列車運行係から得た。
永野は直ちに小隊の編成に取り掛かった。爆破班の工兵三名、中隊長補佐の士官二名、伝騎一名、通訳一名の計十二名である。だが、ここで大きな問題が持ち上がった。現在、露営中の張家屯と普蘭店は、直線距離にしておよそ一五キロだが、その間に老虎山脈が立つはだかっている。臨時列車の普蘭店駅通過は、おそらく一二時前後となる。永野たちは遅くとも十時前には普蘭店付近に到着して、鉄道爆破の準備に入らなければならない。
老虎山脈を速やかに超えるのに道案内が欠かせない。ところが、小隊の中に、日清戦役で遼東半島の土を踏んでも、張家屯から普蘭店まで老虎の山越えをしたことのある者は一人もいなかった。
護衛兵の下士官の一人が進み出た。
「日清の時、老虎山越えをした時の様子を非常に詳しくはなししている者を思い出しました。確か第八中隊の上等兵で---」
永野は第八中隊の露営地まで走った。第八中隊長は永野の陸士の一期先輩である。幸いすぐその上等兵を呼んで、永野の前につれてきた。起きぬけの急な呼び出しで、三十過ぎの痩せて小柄な上等兵はびくびくしている。
永野の顔を見て、驚愕の表情が加わった。
名前は?と永野が尋ねた。
「はい。陸軍上等兵坂正巳であります」
「老虎山脈を越えて、普蘭店までの道案内を頼みたいのだが」
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