29日の昨日今日
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作成日時 : 2008/03/29 11:46
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日記今日は土曜日。絶好の花見日和だが。肌寒い。美香からお呼びだそうで、これから出かける。
万能川柳MRI美人もくそもないもんね
ラーメンとカレーそんなにこらないで---ドド子さんでした。
民主党小沢すね夫と呼びたいね
・・・許されざる者「貴様は船頭傭員として志願してきたくせに、何だ、このざまは!どんどん流されてゆくじゃないか」
と将校が怒鳴る。
「わしは天竜の激流でも筏を操ったし、紀州の悪灘も乗り切ったことが有りますけどね、支那の海は勝手がちがいまっせ。表向きの荒波だけではのうて、底波の荒さは尋常やない。何やな船の底に重石でもつけているみたいで、こりゃどうしても漕ぎ切れませんで」
と船頭は音を上げた。
背後に敵艦の襲撃を警戒する中での陸揚げは三日間、昼夜を分かたず続いた。転覆したり、流されて行方不明になる短艇、伝馬が相次ぎ、第二軍が蒙った損耗は大きかった。
後発の第四師団(大阪)も塩大澳より北のひしか湾に上陸、合流してようやく全軍が揃ったのが五月十三日深更で、ほとんど休む間もなく、翌々十五日早朝には前進を開始した。
斥候兵からの報告によれば、金州城、・南山に布陣するロシア軍の勢力は、2万5千から3万である。遼東半島特有の南西からの烈風が、黄塵を巻き上げる中を、山から山へ、丘から丘へ、泥の川を渡って、第二軍の歩兵、騎兵、砲兵、工兵、馬匹、砲車、輜重車、弾薬車の縦列が黒々とどこまでも伸びてゆく。既に遠くで砲声がとどろく。この土地に何千年も昔から住む人々が驚き、怖れながら異国の兵士の行軍をみつめている。
これより前、先遣隊として第三師団(名古屋)三十四連隊は、海軍陸戦隊とともに、まっ先に塩大澳に上陸し、直ちに掃討作戦を展開、少数のロシア軍守備隊を撃破しつつ、張家屯付近まで達していた。五月五日未明、露営中の第三十四連隊に伝騎が飛び込む。
「第七中隊長永野忠庸少佐はどこにおられますか!」
と伝騎は叫んだ。
また眠っていた永野は飛び起きると、テントから走り出た。
「永野は私だ。何だ!」
「司令部よりの伝達であります」
若い兵士が息を切らせる。腕に白布を巻いている。司令部付のしるしだ。永野はうなずいて、伝騎から小さな封筒を受け取った。外はまだ字が読めるほど明るんでいない為、永野は従卒にロウソクの灯を持ってこさせた。
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